6月4日「読売新聞朝刊・論点スペシャル」。山田昌弘氏、亀岡誠氏が語る絆とは。

山田氏は、家族が個人を支える拠り所と言う。地域などの緩いつながりで支えられないことを家族が支える。「近所の人に食べのもを分けてあげても、100万円は出せない」と例える。

家族の崩壊は言うまでもなく未婚化の進行だが、山田氏は「産業構造などの変化などによって正社員になれない若者が増え、経済的な理由で結婚したくても出来ない男性は多い。より安定した生活を求め、相手の収入にこだわる女性の傾向は変わらないため、マッチングに至らない。」ここは、深く納得。いつまで高度経済成長モデルにこだわるのか?そんなもの、もう無いって。

山田氏は、近著でも、女性が財布の紐を握って夫の自由にさせないことが消費増加を阻んでいると書いていた。妻を大蔵省などど呼ぶジョークが通じたのは景気が右肩上がりの時。(デパートもスーパーも女性向の商品が幅を占めている。変えて欲しいなあ)

経団連の提言書に「女性とシニア」をもっと労働力として活かそうとある。社会資源として、女性とシニアは活躍して欲しい。

アートの世界は女性中心になっているが、これは、アートが金にならないから。

男は社会的な縛りが強い男は稼いで女性が(家庭を)守る、という(実際には共稼ぎであっても心理的な)暗黙の了解。

 

話がそれた。

 

さて、家族を重視する山田氏に対し、亀岡氏は、友人・隣人と緩い絆をと提案。

家族がひとつ屋根の下という姿ばかりではないとした上で、心を満たす絆を制度ではなく民間主導で「ちょっとした絆」を育みやすい環境を整備する必要を説く。

山田氏、亀岡氏、どちらに軍配を上げるのではなく、絆を作る努力はひとりひとりに課せられたものだと思う。

 

「ある日、絆が出来ていた」ということは無い。